2026.01.01
明けましておめでとうございます。
どうぞ本年もよろしくお願いいたします。
新年で、心新たにして店をやっていきたいと思いますが、
なかなか想うようには行きません。想うように行かないから、叉面白いのです。
「旧年と新年」で私の尊敬する法頂さんは、次のように言っておられます。
誰かが尋ねた。和尚さんは未来に対して、どのような期待をお持ちですかと。
私は答えた。「私は今日を生きているだけで、未来には関心ありません」
私たちは正に今ここで、このように生きている。
今以外の時間が別にあるわけではない。
次の瞬間を、明日のことを、誰が知りえよう。
ハンミョン禅師は詠っている。
「旧年とか新年とか分別するな。
冬が去り春が来たから歳が改まったようだが、
見よ、あの空が変わったか。われわれは愚かだから夢の中で暮らす」
叉、空海さんは、『悩むときは、分別の世界から、別れよう』といっておられます。
一心安住して分別なし、内風外風、我が耳を誑かす。と、
「分別」とは優劣・苦楽・善悪・幸不幸などに心が別れてしまった状態のことをいいます。
仏教ではこの分別という言葉を、良くないことの意味で使います。
意識というものはどんな人であれ、主観で支配されています。
これまで得た知識や価値観により作り上げた主観から、
物事に執着する思考が生まれ、それがいわゆる煩悩になります。
分別するのはこの主観ですから、
どんな判断であれそれが必ず正しいというもので無い、ということです。
もう少し具体的にいえば、
キレイなものを見たときには人は脳でその情報を過去の記憶や価値観と
結びつけて“キレイなもの”と認識します。
汚い時を見たときと同様。
しかし、どんなものでもそれ自体キレイも汚くも無く、
人が主観の中で判断して初めて、
キレイや汚いといった意味が生まれてことになるのです。
仏教的にはこのように主観で分別する意識の中では物事の
“あるがまま”を見ることは出来ませんから、
そもそも分別するなと説くのです。
人間は分別しないと生きていけませんが、
しかし時には分別しない、固執しない、
ということに意識を向けてみることが、
自分の意識の幅を広げることにつながるのではないかと思います。
今年も、お元気で暮らしてください。