漢方の三笠薬品 (株式会社三笠薬品)のブログ |「ぱどnavi」

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私のひとりごと 令和3年3月

2021/03/16





私のひとりごと


 


 


こんにちは。大変な世の中ですが、いかがお過ごしですか。


 


今月の12日はこの店の40回目の誕生日になります。


昭和56年3月12日オープン。


その日のことは生涯忘れることはないと思います。


 


父親の土地に、店を建てることから、


仕入れ、販売、企画、経理と店のことはすべて一人でやっていました。


開業した時は気が張っていましたし、若かったので出来たと思います。


 


 


「働けど、働けど我が身楽にならず」といいますが、


オープンしてから苦しかったので、


何回もサラリーマンになりたいと思いました。


自分で店を経営していくことは分かっていたつもりでしたが、


現実は大変でした。


 


誰にも頼る事は出来ないし、誰にも相談しないで、


とりあえず前を向いて進んでいたように思います。


 


オープンして四年後に結婚をしました。


その頃は順調でなんとか生活が出来るようになっていました。


 


収入も少なく、遊ぶ時間も少ない。


 


こんなことでは「結婚しても先が思いやられる!」。


その時も、弱気になり一定の収入があるサラリーマンに憧れました。


 


「今月も、支払いが多すぎて、生活費は我慢してくれ」と


亡くなった嫁にいったことを覚えています。


その時は、苦労をしているとは思いませんでした。


 


 


 それから、景気も良くなったので、数年後に借金をして出店しました。


その店が思った以上に売上、景気の良い「三笠薬品」となり、


平成5年には合計で4店舗になっていました。


 


スタッフも総勢で15名。


これは私にはできすぎで、毎日が忙しくて大変でした。


4店舗の運営は、売り出しの企画、仕入れ、銀行関係、


スタッフのシフトと全てのことはほとんど私がやっていました。


 


それから、4年程は順調でしたが、


4店舗とも小さい店で消費者のニーズに


お応えできないようになってきていました。


そこで、本店は相談思考にチェンジしていきました。


 


店を縮小することは、オープンするときよりもエネルギーが必要です。


ちょうど、結婚するときより、離婚の方が大変だといわれるのとおなじだと思います。


 


 


完全に1店舗にしたのは、平成13年だったと思います。


嫁と二人で相談形式の店にして行こうと決め、


それから20年経ちました。


嫁はひどいアトピーで苦労をしたので、


特にアトピーの方を助けたいという気持ちで臨んできました。


 


 40年を振り返ってみると、苦労したことは鮮明に覚えています。


 


良かったこと、楽しかったことはあまり覚えていません。


 


ここまで、続けられたのもたくさんのお客様の


応援があったからだと心から感謝しています。


 


 


本当に感謝しかありません。有難うございます。


 


 


 


 


北室 宏親(ペンネーム)


 


 



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